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乾山 見参 !

サントリー美術館にお勤めされている
お客さまからチケットをいただきました

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尾方 乾山(おがた けんざん)〔深省(しんせい)〕
寛文3年(1663)に京都の裕福な呉服商、雁金屋(かりがねや)の三男として生を受けました。5歳上の兄はいわずと知れた琳派の大成者・尾形光琳(こうりん)です。

早くから隠棲の志が強かった乾山は、20代後半には仁和寺門前に隠居し、文人隠士としての生活を始めます。その過程で近隣に窯を構えていた野々村仁清(ののむらにんせい)に作陶を学び、元禄12年(1699)、京都の北西・鳴滝泉谷(なるたきいずみだに)に窯を築いて、本格的に陶工としての活動を始めます。

窯の名は、京の乾(いぬい)の方角にあたることから「乾山」としました。

乾山焼は陶磁の系譜としては京焼の伝統に連なるものの、乾山自身の美意識の根底には、生まれついて身を置くこととなった町衆文化、そして若くして隠棲の生活へと導いた文人思想があり、それらはそれまでの陶磁には見られなかった世界をもち込むこととなりました。

なかでも和・漢の文学的な世界観は、乾山焼を貫く大きな柱となっています。さらには当時流行した琳派風の模様や、中国からヨーロッパにいたる海外産の陶磁器意匠に基づく異国趣味など、幅広い要素を独自の語法に置き換えることに成功し、後の世代にも強い影響力を与えました。

こうした文芸・絵画・工芸といったジャンルや、時には国境までをも超えてさまざまな要素を結び付けた着想の世界は、現代においても新しさを失いません。

陶磁で絵画を目指した角皿や、うつわではなく文様が形を決める向付(むこうづけ)、和・漢や内・外といったコントラスト、そしてうつわの全体にひとつの意匠が駆け巡り、立体と平面の交叉する反鉢など、自由で想像力豊かな着想のマエストロ乾山の奏でる美の世界をご堪能ください。さらに本展では、酒井抱一(さかいほういつ)による琳派顕彰活動を経て、江戸で継承された知られざる「乾山」の姿もご紹介します。
(HP引用)